体の「障害」をテーマとしたカウンセリング

 ここでは「障害」を持つ者という同じ地平から、あなたのためにオーダーメイドなカウンセリングをご提供致します。先天的/後天的障害を手足及び体幹に持たれた方とそのご家族、あるいはその方々をケアする立場の方々のご相談をお受け致します。

③障害を持った方と関わる専門職(医師/看護師/保健師/理学療法士/作業療法士/義肢装具士/ 社会福祉士/精神保健福祉士/教師/保育士/心理士/コーチ 他)の方々へ

―「障害」に関わるテーマについて、こんな時、どうしようと戸惑うこと/悩んでいることなど/気にはなるが、ご本人にはきけないことなど―

 それぞれの専門領域の知識/技術を超えたところで、ご自身の専門性が発揮しきれないとお悩みになることはありませんか。お一人で抱えこまず、どうぞご相談下さい。
 専門職の皆さんがご自身の専門性を発揮する時、それが望ましいものであっても、対象になる方の心にそう映るとは限りません。どんなに効き目のある注射でも、注射嫌いの子どもにとっては、ただの痛い注射に変わりありません。痛いことは誰だって嫌がります。しかし、そのため必要なサービスが提供出来ずに、専門家側が困ってしまう。「障害」をテーマとしたことに関わる場合、このような場面は少なくないように思います。そんな中、お一人で立往生してしまうことはありませんか。ここでは、そうしたお悩みを遠慮なく言葉にされて下さい。一障害者として、自分の体験も踏まえた上で、一緒に悩みます。
 私は自分の足だけでは歩くことができないので、補装具(頑丈なギブス/義足のようなもの)をつけています。それが、私に歩く自由とスポーツを楽しむことを可能にしてくれました。しかし、私の足は生まれ持った奇形(個性的な形)とそれに数回の手術で整形されているため、とても補装具を合わせるのが難しい形をしています。そこで、新しい補装具はもちろんのこと、日々使い込んだ分に合わせて調整する際、足に中々しっくりこないことがままあります。そんな時私も、ここが、どうと自分の状況を的確に言い表せられればいいのですが、そこがまた自分の足でありながら、異物としての補装具の感覚を言葉にするのは非常に困難です。過去幾人かの方が、私(私の足)の横で頭を抱える姿を目にしました。しかし、私は自身の体験から、これは義肢装具を作る方の技術の問題のみからくるのではないように思っています。 ―義肢装具士の方々の名誉のためにも協調してお伝えしたいのですが―ここには、『足と補装具(義肢)』という物の次元だけではなく、異物としての義肢装具を受け入れるという心の問題/課題(心の次元での出来事)が大きく関与しています。どんなに素晴らしい補装具/義肢であっても、生身の肉体には、絶対勝てません。私は今でこそ、自分の足といい関係にあります。自分の足に対して、これが「私の足」ということに納得しています。がしかし、もし健康な足に変われることができるとしたら、「どうか一本でもいいので…」と言ってしまうでしょう。やはりそれが、本音です。そこへ、代替物をあてがうのです。物の次元ではこのあたりが、痛い/高い/低い/固い/安定しない…と言葉を尽くすことはできても、心でそううまくいかないことがあります。「この補装具は○○」と語る奥底では、意思の力で整理して語る言葉とは別な顔をして、永遠に生えてこない生身の足を求めているのです。時に心は、とても非合理的です。
 このあたりの微妙な感覚は、非常に伝わりにくく、理解され難いことかもしれません。要は、どれだけ物の次元で専門的技術を発揮されても、人には心という別個の次元があり、両方がみたされないとうまく行かないことがあるということです。しかし、「心の次元」は当の本人にとっても非常に曖昧でつかみづらく、気づきにくいものです。そのため、「物の次元」での理解が独り歩きしがちになります。そして、患者である私はそれを「(表現の言葉が見つけられず)痛いです。」といい、誠意ある義肢装具士の方は私の横で頭を抱えたのです。 ですから、ご自身の仕事を全うしてなお、あまりある出来事には、「障害」を巡る心のテーマが誰にも知られず、密かに動いている可能性があります。また、このようなことは「義肢/補装具」と「体」の関係だけでなく、多様な関係の中でも起こりえることです。どうぞ、お一人で頭を抱えずに、ご相談下さい。もちろん、ここがこうだから、困る。といった明確なことでなくても結構です。そんな形になりきらない思いについても、どうぞお持ちより下さい。形づくりの段階から応援させていただきたいと思います。

<私の体験から>
子どもの頃、本当に『手術』が嫌でした。とにかくよく泣きました。いざ、手術室へ向かうという時がきても、駄々をこね続けました。すると、主治医の先生が手術着のままやってきて、私を抱っこして、手術室に向かいました。(連れていかれました!)聞けば、先生はすべての準備を終えて、待っていたのだそうです。誰かが、手術の手続き上、消毒などがとても大変なのだと言っていました。当時のわたしには、そんなことは気にとめる余裕などありませんでした。それでも、私を抱っこする先生の何とも物悲しそうで、少し困ったような顔だけは、よく覚えています。もし、皆さんが私の治療医だったら、どうされたでしょうか。