体の「障害」をテーマとしたカウンセリング

 ここでは「障害」を持つ者という同じ地平から、あなたのためにオーダーメイドなカウンセリングをご提供致します。先天的/後天的障害を手足及び体幹に持たれた方とそのご家族、あるいはその方々をケアする立場の方々のご相談をお受け致します。

①ご本人へ
 ―「障害」に関する悩み/思い全般が対象です。―

 自分の「障害」とどう付き合っていくか/向き合うのか/悩みに対するカウンセリングとしてだけでなく、「障害」についてただ語る場としてもご活用いただけます。「障害」について、こんなことをいっていいのだろうかという気づかいは無用です。
 「障害」を抱えているのはあなたの体です。体と心は分けて考える必要があります。」といった趣旨の言葉を耳にすることはありませんか。皆さんはその言葉がけについてどうお感じになりますか。私は、そうだろうと理屈では理解しています。しかし、それを自身のライフスタイルの隅々までいきわたらせるのは決して容易でないと思います。ここではそうした「障害」を巡るテーマが、それこそあなたの人生の障害となっていることをご相談下さい。
 体に「障害」があることは、体の機能だけではなく、心が適正に機能することに対しても、「障害」として働きます。しかし、これは仕分けることができます。ただ、つらいです。そのテーマと向き合うくらいなら、私は、障害者だからと、その痛みに向き合わず、無かったとこにしてしまう方がはるかに楽です。また、余程のことがない限り、周囲にも「障害」はごく真っ当で鉄壁の言い訳として機能してくれます。それでも、自分の本音を大事にしてみませんか。障害があるために自分のやりたいこと、してみたいことをあきらめていませんか。確かに、体の「障害」のために物理的に出来ないこともたくさんあるのは事実です。しかし、それを言い訳にして、本当は出来ること、形を変えればトライできること、そのものは叶わなくても、代用がきくはずのものをあきらめてはいませんか。それは、体の「障害」ではありません。心の「障害」です。それは私たち(障害を持って生きる者)にとって、本当に恐ろしい存在です。あまりに恐ろしすぎて、存在すら認めたくありません。ですから、それに一人で立ち向かうのは難しいかもしれません。でも、あなたのこれをやりたいという気持ちと周囲のお手伝いがあれば必ず向き合っていくことができます。私もお手伝いします。
 その他、ドクターの診察/リハビリの際/義肢や補装具を修理・交換の時、あるいはその他の場面で、自分の「障害」に対する思いをうまく伝えられない、分かってもらえない、わかってもらうことへの遠慮がある、どうしても伝わらないので諦めてしまったといったことはありませんか。そうした思いについて、 ここでもう一度考えてみるのはいかがでしょうか。

<私の体験から>
 私には、十代の思春期、真っ只中の頃、街中を歩くのがとてもつらい時期がありました。道行く人が皆、私の足をみているのではないか、そんな気がして、しかたがありませんでした。本当はそんなことないと頭では理解できても、どうしても心がついてこない、そんな時期がありました。
 皆さんはいかがでしょうか。程度の差こそあれ、このエピソードはどこかで、皆さんの心にも響くところがあるのではないでしょうか。「障害」を持つ私たちはこのように、日々「障害」と共に生きています。私たちの生活の中にするりと入りこんできた「障害」に関する悩み、どうぞご相談下さい。ご家族、友達、主治医の先生、自分の大切な人にすら言いづらい事、大歓迎です。